厳選の体験 · Munich
Munich, ドイツ
旧市街を案内付きで歩く半日と、そのあとご自身で向かうスタジアム。後半に何が含まれ、何が含まれないかをはっきりお伝えします。
マリエン広場、フラウエン教会、ドイツ抵抗運動の記念碑、ヴィクトアリエン市場をめぐる案内付きの散策
FCバイエルン・ミュンヘンのスタジアムを自由行動で訪問。そこでの時間はご自身のものです
街の歴史を筋道立て、知っていることを伝えてくれる地元のガイド
半日のまとまった形。街の把握とスタジアムでおよそ四時間
ミュンヘンの旧市街は歩いて三十分で横切れるほどまとまっており、そこで目にするもののほとんどは、一九四五年以降に以前とそっくり同じ姿へ建て直されたものです。サッカー場はまったく別種の存在で、中心部から北へ十キロ、二〇〇五年の完成。スポーツとは関係のない理由で、ドイツでも指折りに面白い建築です。
徒歩の部分は、市庁舎と仕掛け時計のある中央広場、二本の塔をもつ大聖堂、数ブロック南の食品市場、そして大学前の記念碑を回ります。そのあとは性格が変わり、スタジアムの部分が始まります。
予約前にいちばん理解しておいていただきたい点です。後半は自由行動で、中へ入るための券も、そこまでの移動も、ご自身での手配となります。スタジアムは地下鉄一路線の北端、中心部から二十分ほどのところにあり、内部の見学はクラブが独自の日程で販売していて、試合のある週末は売り切れます。この区間はご自身で計画してください。
外から眺めるだけでも知っておく値打ちがあります。外皮は二八七四枚の空気で膨らませた樹脂のクッションでできていて、一枚ずつ別に照らせます。だから外殻全体の色が変わります。ホームのクラブなら赤、代表戦なら白、もう一つのクラブが共用していた年月は青でした。開場当初は照明を抑えねばなりませんでした。隣を走る高速道路の運転手が、見ようとして速度を落としてしまったからです。
よくできた仕掛けで、しかも実在します。入ってすぐの床に、黒い足跡がはめ込まれています。そこに立つと柱の並びがそろい、堂内のどこにも窓が一つも見えません。日の光の入らない教会を嘲笑いに来た悪魔が、一歩踏み出したとたんに窓が現れ、腹を立てて踏みつけた——という話はここから生まれました。
あの二つの緑の円蓋は九十九メートルあり、いまも街の輪郭を支配しています。市の規則が中心部の新しい建物を百メートル未満に抑えているからです。円蓋そのものも変わり種で、十六世紀の建築家が当初予定されていたゴシックの尖塔ではなく、エルサレムから借りた形で塔を締めくくり、その輪郭がはずみで街の象徴になりました。中へ入る聖堂は、残った外殻の内側に戦後建て直されたものです。爆撃はそれ以外をほとんど残しませんでした。
歩いたあとまで残るのはこの場所です。大学本館の前の石畳には、手書きのビラと破れた紙の青銅の複製が散らばっています。一九四三年二月、学生の一団が六種の反ナチのビラの最後の一枚を配り、残りを上階の回廊から下の吹き抜けへ投げ落とした場所を示すものです。彼らは目撃され、その日の午後に逮捕され、四日後に処刑されました。いちばん若い人は二十一歳でした。
正直に書きます。市庁舎の仕掛け人形は決まった時刻に動き、十五分ほど続き、街でもっとも過大に語られるものとみなされています。上段は十六世紀の公爵の婚礼を、下段は疫病の終わりを祝う樽職人の踊りを繰り返します。広場の向こう端から一度見れば十分で、そのために午前を組み替える必要はありません。
開くと日付を選んで料金を確認できます。
料金に含まれるものと、別途ご用意いただくもの。
実用的な情報と、実際によく聞かれることへの答え。
含まれません。ここでお伝えするのは散策そのものです。中へ入るのはクラブが別に販売する見学で、直接の予約が必要となり、試合日には行われません。
地下鉄一路線の北端にあり、市の中心部から二十分ほどです。集合場所とスタジアムのあいだの移動は、記載がない限り予約に含まれません。
外皮が二八七四枚の空気入りクッションでできており、一枚ずつ別に照らせるためです。ホームのクラブでは赤、代表戦では白、もう一つのクラブが共用していた年月は青でした。
入口そばの床にある黒い印で、そこからは柱の並びのおかげで堂内のどこにも窓が見えません。悪魔が訪れたという言い伝えは、この視線の仕掛けから育ちました。
石畳に散らばる反ナチのビラの青銅の複製で、一九四三年二月に学生の一団が最後のビラを配った場所を示します。彼らはその日の午後に逮捕され、四日後に処刑されました。
少しだけ。決まった時刻に動き、十五分ほどで、ミュンヘンでもっとも過大に語られるものです。広場の端から一度見るにとどめ、午前をそれ中心に組まないことです。